『フロレンス・ナイチンゲールの生涯(全2巻)』

 

C.ウーダム=スミス 著
武山満智子・小南吉彦 訳

本書は、英国の歴史家ウーダム=スミス女史による700頁におよぶ大作“Florence Nightingale”の完訳である。

ナイチンゲールの詳細な伝記としては、他にE.クック卿のものが著名であるが、時代の制約等により、かなりの重要な事実や書簡が欠けており、史実の叙述に物足りなさを感じることは否めなかった。

しかし、スミス女史は、ナイチンゲールの生涯を語るにはなくてはならない書簡や資料を適宜収載し、綿密な筆運びで、近代看護の先駆者の姿をあますところなく再現し、ここにナイチンゲールの真の生涯を鮮やかによみがえらせた。

■ 第1版/1981年/A5判/上製本/函入/各巻420頁
■ 揃定価 5,600円 (税別)分売不可 ■ ISBN 978-4-87474-022-4

目次

【 上 巻 】

■第1章 生い立ち (1820年~1837年)

1820年5月、フィレンツェ/父と母/リハースト荘とエムブリイ荘/少女の時代/姉と妹/平穏と激情/初めての「お召し」

■第2章 ヨーロッパへの旅 (1837年~1839年)

六頭立ての旅行馬車で/イタリア開放運動の渦の中で/ジュネーヴ、亡命者の街/パリ、メアリー・クラーク(クラーキー)との出逢い/パリの社交界で

■第3章 苦悩の始まり (1839年~1845年)

ロンドンの社交界へ/メイ叔母に支えられて/数学とギリシャ語/リチャード・モンクトン・ミルンズとの出逢い/飢えた40年代 ―農民小屋の病人たちの世話/「夢想」との葛藤/看護の発見―病院への指向/愛の破局 ―マリアンヌとの訣別/祖母と乳母を看護して/看護婦としての訓練を受けたい

■第4章 葛藤と苦悶の日々 (1845年~1850年)

家族との葛藤の始まり ―自責と忍耐の日々/夜明け前の学習/ブレースブリッジ夫妻との出逢い/ローマへの旅/シドニー・ハーバートとの出逢い/サンタ・コロンバ尼院長の導き/リチャード・モンクトン・ミルンズの求婚を断わる/エジプトへの旅/カイゼルスヴェルト学園を訪ねる

■第5章 独立への決意 (1850年~1853年)

家庭への拘束/再びカイゼルスヴェルト学園へ/小説「カサンドラ」/謀反の決意/母と姉の干渉/職探し ―ハーレイ街の病院/父の援助/神の摂理の家に入る/ハーレイ街病院に着任する

■第6章 小さな病院の看護監督 (1853年~1854年)

ハーレイ街病院の再建に手腕を発揮/看護改革のための情報収集

■第7章 クリミアへの出発 (1854年)

クリミアの悲報 ―タイムズ紙の特派員報告/F・N立ち上がる/準備の四日間/出発/スクタリに着く

■第8章 スクタリ兵舎病院の惨状 (1854年)

スクタリの混乱と惨状/兵舎病院に到着/医師たちの無視と冷遇/信頼を得るための待機

■第9章 英国陸軍の破局を救う (1854年~1855年)

破局の幕開き/ナイチンゲール看護団、立ち上がる/第二次看護団の派遣と混乱/宗派間の紛争/ヴィクトリア女王の支援/長く恐ろしい破局の冬/陸軍衛生調査委員会の派遣/非常事態の終焉

■第10章 陰謀と妨害に耐えて (1855年)

不眠不休の働き/陰謀と妨害に抗して/調理場の改善/クリミア野戦病院の惨状/第一回クリミア半島訪問/クリミア熱で倒れる/ソルスベリー嬢事件/第二回クリミア半島訪問

■第11章 兵士と民衆の愛慕 (1855年~1856年)

英国民の支持の声、高まる/ナイチンゲール基金の創設/兵士のための福祉改善/欺瞞と誹謗に耐えて/F・Nの地位と権限、確立さる/第三回クリミア半島訪問/クリミア戦争の終結

■第12章 陸軍の衛生改革への決意 (1856年~1857年)

迷いと決意/ヴィクトリア女王の励まし/陸相パンミュア卿との会見/陸軍勅選衛生委員会設置の構想/役人たちの遅延工作/ネトレー病院の設計についての論争/陸軍勅選衛生委員会の発足

■第13章 病弱の身に鞭打って (1857年~1858年)

母と姉の妨害/超人的な仕事ぶり ―小陸軍省/「英国陸軍の保健・覚え書」/委員会報告の執筆/虚脱発作で倒れる

・英国およびヨーロッパ概念地図
・クリミア半島付近概念地図
・フロレンス・ナイチンゲール関係年表

【 下 巻 】

■第14章 官僚機構への挑戦 (1857年~1859年)

仕事の鬼/官僚機構への挑戦/ベンガル暴動とインド駐在陸軍への関心/シドニー・ハーバートの衰弱/インド駐在陸軍のための勅選衛生委員会の発足/狂った歯車 ―陸軍の行政機構/再び虚脱発作で倒れる

■第15章 陸軍の看護から民間の看護へ (1859年~1860年)

民間病院の実情/「病院覚え書」/病院統計の標準化/聖トマス病院への支援/「看護覚え書」/ナイチンゲール看護学校の設立/助産婦学校の設立/神学的形而上学的思索 ―「思索への示唆」/ジョウェットとの出逢い

■第16章 孤独と絶望 (1860年~1861年)

シドニー・ハーバートの病状悪化/メイ叔母去る/ヒラリー・ボナム・カーター去る/アーサー・ヒュー・クラフ海外保養に去る/シドニー・ハーバートの死/シドニー・ハーバートの業績/バーリントン街を去る

■第17章 復帰の要請 (1861年~1862年)

ハンプステッド街に引き籠る/公務に呼び戻される/南北戦争の勃発/アーサー・ヒュー・クラフの死/女性に対する失望/陸軍医務局の再建と改革に取組む/伝染病予防条令の論争/敗北感に拉がれる

■第18章 インドの衛生改革に立ち上がる (1862年~1864年)

資料の収集/「インド駐在陸軍の衛生・ナイチンゲール私見」/インドの国民の衛生/報告書の執筆と公刊/インド行政機構の確立のために闘う/強力な味方 ―インド総督ジョン・ローレンス卿/インド省と陸軍省の対立

■第19章 長く苦しい闘い (1864年~1867年)

悔恨と絶望/ジョウェットの友情に支えられて/サウス街10番地へ/ヒラリー・ボナム・カーターの死/ささやかな慰め ―読書と猫たち/サザランド博士への不満/インド問題、一時の希望、そして挫折/9年ぶりの里帰り ―盲目の母を見舞う/インド問題の進展

■第20章 地域看護と貧民の看護 (1862年~1868年)

地域看護への関心/救貧院の看護改革に着手する/アグネス・ジョーンズ、リヴァプール救貧院へ/救貧法改正のための闘い/産院の調査と助産婦の訓練 ―「産院覚え書」/アグネス・ジョーンズの死/看護婦の人材確保に悩む/女権拡張運動への批判

■第21章 抗争から宥和へ (1868年~1872年)

インドへの情熱と功績/失敗と挫折/流れに逆らわず/独仏戦争 ―赤十字活動への協力/衰えを悟る

■第22章 看護学校の再建と母の看病 (1872年~1880年)

公職からの引退を決意する/父母のために家に帰る/ナイチンゲール学校の再建/神学上の著作/神秘思想家としてのF・N/父ウィリアムの急逝と母の看病/若い教え子たちとの交流/インドの飢饉と灌漑構想/母ファニイの死

■第23章 和解、そして希望 (1880年~1894年)

和解と宥和/インドの農地改革/ゴードン将軍との交友/陸軍の保健の相談役として/遅生りの実 ―インド問題の成果/地域看護への支援/看護婦登録制度の論争

■第24章 晩年 (1894年~1910年)

穏やかな晩年の日々/姉パースの死とヴァーネイ家との交流/家庭の母親に看護を ―婦人保健普及員/逝く人びと/伝説はふくらむ/最後の燦き/終焉